ルアンパバンはラオス北部山間のメコン川中流沿いの街。かつて独立王国の首都だったこともある落ち着いた古都だ。人々の暮らしは悠久のメコンの流れと深い森、仏教の祈りと静けさの中にある。緑の木々の中には寺院が立ち並び、早朝にオレンジ色の袈裟を着た僧侶が列をなして托鉢に街を歩き、住民らが一人一人の僧にモチ米などを喜捨する光景が見られる。旅人の中にはかつてこの街を、「桃源郷」と呼んだ人もいたほどだ。  

そんなルアンパバンは1995年のユネスコの世界遺産登録以降、いわゆる「観光地化」が進んでいる。ラオス全体でも国外からの入国者が2001年~2014年に約7倍増加しているから、この国唯一と言っていいこのメジャーな旅行目的地を訪れる人の増加ペースが想像できるだろう。

今年、約16年ぶりにこの地を訪れてみた。到着して辺りを見回すと、変化しているような場所もあれば、さほどでもないように思える場所もある。便利になった部分もあれば、そうでない部分もある。もちろん過去との比較だけで「世俗化」を憂えることはない。土地の開発やある程度の商業化は旅の目的地としての利便性だけでなく、移動や滞在の保安や安全性にもつながるからだ。ただ、ルアンパバンの空港に周辺国から少なくない数の国際線の直行便が乗り入れているのには驚いた。かつてこの空港には国際路線はチャーター便しか運航がなく、国内線もその安全基準の低さから「タダでも乗るな」と言われていたのだが。  

街をぶらつき、「プーシー山」という街を展望できる高さ700メートルの小山に登り、緑に囲まれた寺院を巡り、早朝の僧侶の托鉢と外国人による「観光喜捨体験」の様子を見る。さらにはメコン川面を臨む野外のカフェでローカルビール「ビアラオ」を飲んだり、ナイトマーケットの売り子を冷やかしたりと、多くの旅行者同様、一通りのアクティビティを済ますと、さて、やることがなくなった。郊外のトレッキングコースを歩いたり、山岳部族や象の村を訪ねるツアーもたくさん用意されているのだが、正直なところ、日中の日差しの強さと、大勢の旅行者と一緒のグループ行動を想像すると、積極的に参加する意欲が失せる。  

しかしこのような自然あふれる小さな街は、何もしないで過ごすのも楽しいものである。地元の人たちの暮らしぶりも近いし、食事もローカルのものを格安で楽しめる。「この豊かな空気感を楽しんでいる」という風情で、ただぼんやりといつまでも勝手な時間を過ごしていても誰も責めないし、罪悪感を覚えることもない。  

ルアンパバンの街はメコン川とその支流のカーン川の合流地点にある。それらの川が街中心部と郊外エリアの境界線にもなっているのだが、それぞれの対岸にも人が住んでおり、川幅が比較的狭い支流のカーン川にいたっては、対岸に新興住宅地や国際空港がある。カーン川に架かる橋は空港アクセスの一部でもあるので、街の発展と旅行産業の拡大に合わせてか、新しく規模の大きな「ニューブリッジ」が出来上がっている。旧の橋が「オールドブリッジ」としてモーターバイクと自転車と徒歩専用になっている様子をしみじみと眺めていると、その少し下流の川面にも何やら別の「橋らしきもの」があるではないか。  

川べりの小道をたどって近づいて行くと、約100メートルはあろうかという川幅いっぱいに低く、木材や竹で組み立てた橋が架かっている。金属やコンクリートの構造体はなく、どう見ても強度は高くなさそうだ。橋の上部、歩行面の幅は70センチほど。並べた木片の間には隙間があり、川面がすぐそこに見える。そこから高さ1メートル程の高さに「手すり」に相当する部分があるが、それに掴まったところで身の安全が確保されるかどうかは分からない。周囲の川の流れは本格的な雨季を前にして、かなり速い。橋の対岸の端には小さな小屋が立てられていて、橋の係員だろうか、誰かが一人、遠目に私の様子を伺っている。

橋のこちら側の端には看板が掲げられ、ラオス語と英語とフランス語で手書きのメッセージが書かれている。曰く、「この橋は地元住民が毎年乾季に、自分たちだけで自然の素材を使って架けているものです。本格的な雨季が到来し、増水して水の流れが速くなると流失します。この貴重な生活インフラを維持するために、一回の通行につき5000キップ(約米70セント)を係員にお支払いください」。

なるほど。この地点からは確かにニューブリッジもオールドブリッジもかなり遠い。住民たちの生活インフラ、というのはまあ分かる。そのメッセージの内容には異論はないが、それはつまりこの橋の安全性は公的に保証されていない、ということでもある。んーでも実際は、半ば観光客目当ての設備なのでは?ワイルドに見せかけておいいて、実はしっかりした作りだったりして、などとひねくれたことも考えたりする。

いずれにしろここまで来たら渡るしかない。対岸にある安宿に戻るのにわざわざオールドブリッジに戻るのも面倒だ。歩き始めると、自身の体重で橋全体が揺れるのはもちろんだが、川の流れに反応して常に揺れているようでもある。しかし、このような構造体は多少柔軟なほうがより強度も出る、と聞いたことがある。違ったかな?などと一人ごちながら歩みを進める。橋の向こう川には先ほどの係員以外にヨーロッパ人の観光客らしき人もいて、私が渡り切るのを待っているようだ。ただそれが、橋の上で互いが交差しないための心遣いなのか、まず私に渡らせて安全性を確認しているのかは分からない。

橋の中ほどまで来る。万一ここで橋が崩れたら自分はどちらの岸まで泳くのがいいか、あるいは橋の破片に掴まってしばらく流されるのがいいか、などと冷静に考えているのが我ながら面白い。危機的な状況がリアル過ぎると、恐怖心はあまり感じないのだ。ようやく対岸に到達しようかという少し手前の橋の真ん中に、野良犬が昼寝をしている。爆睡だ。おお、野生動物の嗅覚・危険察知能力をもってしても、この橋はとりあえず安全ということか。

対岸の小屋ではこの橋を作った家族の一人というおばさんがぼんやり座っていた。通行料を払うときちんと領収書を手渡してくれる。一族の収入源として、多少は観光客目当てに欲も出そうなものだが、おばさんの表情や雰囲気は、どこか世俗を超越した「灯台守」のそれのようだ(灯台守の方には会ったことはありませんが)。やはりこの橋、観光目的の客寄せ施設ではなさそうだ。本格的な雨季がきて橋が流された後は、オールドブリッジまで行ってそこを歩いて渡るのか?と聞くと、「舟を漕いで川を渡る。鉄の橋ができる前からそうしているし、川は暮らしの一部」と笑顔で答えが返ってきて、その逞しさと深さに、どこか圧倒される。

観光地化が急速に進むこのルアンパバン。確かに16年前と変わったこともあれば、そうでないこともある。しかしそれは来訪者の勝手な印象でしかない。この「桃源郷」では、土地の持つスピリットや自然と共に生きる人たちの魂と暮らしの基本は、観光客の数などで簡単に変わることなどなく力強くそして脈々と伝えられている。それは目の前に流れる大河のごとく、この地で永遠続くものなのだろう。

ルアンパバンはラオス北部山間のメコン川中流沿いの街。かつて独立王国の首都だったこともある落ち着いた古都だ。人々の暮らしは悠久のメコンの流れと深い森、仏教の祈りと静けさの中にある。緑の木々の中には寺院が立ち並び、早朝にオレンジ色の袈裟を着た僧侶が列をなして托鉢に街を歩き、住民らが一人一人の僧にモチ米などを喜捨する姿が知られている。旅人の中にはかつてこの街を、「桃源郷」と呼んだ人もいたほどだ。

そんなルアンパバンは1995年のユネスコの世界遺産登録以降、いわゆる「観光地化」が進んでいる。ラオス全体でも国外からの入国者が2001年~2014年に約7倍増加しているから、この国唯一と言っていいこのメジャーな旅行目的地を訪れる人の増加ペースが想像できるだろう。

今年、約16年ぶりにこの地を訪れてみた。到着して辺りを見回すと、変化しているような場所もあれば、さほどでもないように思える場所もある。便利になった部分もあれば、そうでない部分もある。もちろん過去との比較だけで「世俗化」を憂えることはない。土地の開発やある程度の商業化は旅の目的地としての利便性だけでなく、移動や滞在の保安や安全性にもつながるからだ。ただ、ルアンパバンの空港に周辺国から少なくない数の国際線の直行便が乗り入れているのには驚いた。かつてこの空港には国際路線はチャーター便しか運航がなく、国内線もその安全基準の低さから「タダでも乗るな」と言われていたのだが。

街をぶらつき、「プーシーの丘」という街を展望できる高さ700メートルの小山に登り、緑に囲まれた寺院を巡り、早朝の僧侶の托鉢と外国人による「観光喜捨体験」の様子を見る。さらにはメコン川面を臨む野外のカフェでローカルビール「ビアラオ」を飲んだり、ナイトマーケットの売り子を冷やかしたりと、多くの旅行者同様、一通りのアクティビティを済ますと、さて、やることがなくなった。郊外のトレッキングコースを歩いたり、山岳部族や象の村を訪ねるツアーもたくさん用意されているのだが、正直なところ、日中の日差しの強さと、大勢の旅行者と一緒のグループ行動を想像すると、積極的に参加する意欲が失せる。

しかしこのような自然あふれる小さな街は、何もしないで過ごすのも楽しいものである。地元の人たちの暮らしぶりも近いし、食事もローカルのものを格安で楽しめる。「この豊かな空気感を楽しんでいる」という風情で、ただぼんやりといつまでも勝手な時間を過ごしていても誰も責めないし、罪悪感を覚えることもない。

ルアンパバンの街はメコン川とその支流のカーン川の合流地点にある。それらの川が街中心部と郊外エリアの境界線にもなっているのだが、それぞれの対岸にも人が住んでおり、川幅が比較的狭い支流のカーン川にいたっては、対岸に新興住宅地や国際空港がある。カーン川に架かる橋は空港アクセスの一部でもあるので、街の発展と旅行産業の拡大に合わせてか、新しく規模の大きな「ニューブリッジ」が出来上がっている。旧の橋が「オールドブリッジ」としてモーターバイクと自転車と徒歩専用になっている様子をしみじみと眺めていると、その少し下流の川面にも何やら別の「橋らしきもの」があるではないか。

川べりの小道をたどって近づいて行くと、約100メートルはあろうかという川幅いっぱいに低く、木材や竹で組み立てた橋が架かっている。金属やコンクリートの構造体はなく、どう見ても強度は高くなさそうだ。橋の上部、歩行面の幅は70センチほど。並べた木片の間には隙間があり、川面がすぐそこに見える。そこから高さ1メートル程の高さに「手すり」に相当する部分があるが、それに掴まったところで身の安全が確保されるかどうかは分からない。周囲の川の流れは本格的な雨季を前にして、かなり速い。橋の対岸の端には小さな小屋が立てられていて、橋の係員だろうか、誰かが一人、遠目に私の様子を伺っている。

橋のこちら側の端には看板が掲げられ、ラオス語と英語とフランス語で手書きのメッセージが書かれている。曰く、「この橋は地元住民が毎年乾季に、自分たちだけで自然の素材を使って架けているものです。本格的な雨季が到来し、増水して水の流れが速くなると流失します。この貴重な生活インフラを維持するために、一回の通行につき5000キップ(約米70セント)を係員にお支払いください」。

なるほど。この地点からは確かにニューブリッジもオールドブリッジもかなり遠い。住民たちの生活インフラ、というのはまあ分かる。そのメッセージの内容には異論はないが、それはつまりこの橋の安全性は公的に保証されていない、ということでもある。んーでも実際は、半ば観光客目当ての設備なのでは?ワイルドに見せかけておいいて、実はしっかりした作りだったりして、などとひねくれたことも考えたりする。

いずれにしろここまで来たら渡るしかない。対岸にある安宿に戻るのにわざわざオールドブリッジに戻るのも面倒だ。歩き始めると、自身の体重で橋全体が揺れるのはもちろんだが、川の流れに反応して常に揺れているようでもある。しかし、このような構造体は多少柔軟なほうがより強度も出る、と聞いたことがある。違ったかな?などと一人ごちながら歩みを進める。橋の向こう川には先ほどの係員以外にヨーロッパ人の観光客らしき人もいて、私が渡り切るのを待っているようだ。ただそれが、橋の上で互いが交差しないための心遣いなのか、まず私に渡らせて安全性を確認しているのかは分からない。

橋の中ほどまで来る。万一ここで橋が崩れたら自分はどちらの岸まで泳くのがいいか、あるいは橋の破片に掴まってしばらく流されるのがいいか、などと冷静に考えているのが我ながら面白い。危機的な状況がリアル過ぎると、恐怖心はあまり感じないのだ。ようやく対岸に到達しようかという少し手前の橋の真ん中に、野良犬が昼寝をしている。爆睡だ。おお、野生動物の嗅覚・危険察知能力をもってしても、この橋はとりあえず安全ということか。

対岸の小屋ではこの橋を作った家族の一人というおばさんがぼんやり座っていた。通行料を払うときちんと領収書を手渡してくれる。一族の収入源として、多少は観光客目当てに欲も出そうなものだが、おばさんの表情や雰囲気は、どこか世俗を超越した「灯台守」のそれのようだ(灯台守の方には会ったことはありませんが)。やはりこの橋、観光目的の客寄せ施設ではなさそうだ。本格的な雨季がきて橋が流された後は、オールドブリッジまで行ってそこを歩いて渡るのか?と聞くと、「舟を漕いで、ここを渡る。鉄の橋ができる前からそうしているし、川は暮らしの一部」と笑顔で答えが返ってきて、その逞しさと深さに、どこか圧倒される。

観光地化が急速に進むこのルアンパバン。確かに16年前と変わったこともあれば、そうでないこともある。しかしそれは来訪者の勝手な印象でしかない。この「桃源郷」では、土地の持つスピリットや自然と共に生きる人たちの魂と暮らしの基本は、観光客の数などで簡単に変わることなどなく力強くそして脈々と伝えられている。それは目の前に流れる大河のごとく、この地で永遠続くものなのだろう。

A Bamboo Bridge in a Hidden Paradise – Luang Prabang, Laos

Luang Prabang, a tranquil ancient city nestled in the northern mountains of Laos, along the middle reaches of the Mekong River, once served as the capital of an independent kingdom. Life here flows with the eternal rhythm of the Mekong, amidst deep forests and the serenity of Buddhist prayers. Temples rise amidst lush greenery, and at dawn, monks in saffron robes form a procession through the streets, receiving offerings of sticky rice from the residents—a scene that paints a vivid picture of daily devotion. Some travelers have even likened this city to a “Shangri-La.”

However, since its designation as a UNESCO World Heritage site in 1995, Luang Prabang has undergone a noticeable “touristification.” Laos as a whole has seen a sevenfold increase in foreign arrivals between 2001 and 2014, suggesting a significant surge in visitors to this, arguably the nation’s premier destination.

This year, I revisited the city after a 16-year gap. Upon arrival, I observed both changes and continuities, conveniences gained and those seemingly lost. Of course, lamenting “secularization” based solely on past comparisons is unwarranted. Development and commercialization enhance not only convenience for travelers but also security and safety during their stay. Nevertheless, I was taken aback by the number of direct international flights arriving at Luang Prabang’s airport from neighboring countries—a stark contrast to the days when only charters operated internationally, and domestic flights were notoriously deemed unsafe.

I wandered the streets, climbed Mount Phousi—a 700-meter hill offering panoramic city views—visited verdant temples, and witnessed the early morning alms-giving ceremony, including the “tourist offering experience.” After indulging in local Beerlao at an open-air cafe overlooking the Mekong and browsing the night market, I found myself with time to spare. While trekking tours and excursions to ethnic villages or elephant sanctuaries were available, the midday heat and the prospect of group tours dampened my enthusiasm.

Yet, there’s a certain charm in simply being in a small, nature-rich town like this, where you can observe local life up close and enjoy inexpensive, authentic meals. You can savor the tranquil atmosphere without feeling pressured to do anything, allowing time to drift by without guilt.

Luang Prabang sits at the confluence of the Mekong and Khan Rivers, which demarcate the city center from its outskirts. Both banks are inhabited, and the relatively narrow Khan River is spanned by bridges leading to new residential areas and the international airport. The recently completed “New Bridge” caters to airport access, a testament to the city’s development and tourism boom. As I gazed upon the “Old Bridge,” now reserved for pedestrians and cyclists, I noticed another “bridge-like structure” downstream.

Approaching via a riverside path, I discovered a low-lying bridge of timber and bamboo, stretching across the 100-meter-wide river. Devoid of metal or concrete, its strength was questionable. The walkway, about 70 centimeters wide, revealed the river below through gaps between wooden planks. A rudimentary “handrail” offered little reassurance. The river’s current was swift, anticipating the rainy season. On the far bank, a small hut housed an attendant observing my approach.

A sign at the bridge’s entrance, handwritten in Lao, English, and French, explained: “This bridge is constructed annually by local residents using natural materials during the dry season. It will be washed away by the monsoon’s heavy rains and fast currents. Please pay 5,000 kip (about 70 US cents) to the attendant to support this vital community infrastructure.”

Clearly, both the New and Old Bridges were quite a distance away. I understood the need for a local crossing, yet the sign confirmed the bridge’s lack of official safety guarantees. A cynical thought crossed my mind: was this perhaps a tourist trap disguised as rugged authenticity?

Nevertheless, turning back was inconvenient. As I began to cross, the entire structure swayed with my weight and the river’s flow. I recalled hearing that some flexibility enhances a structure’s strength, or so I thought. On the opposite bank, tourists watched, perhaps waiting for me to validate its safety.

Midway, I contemplated potential swimming routes should the bridge collapse—a rather morbid amusement. Just before reaching the other side, a dog lay asleep, oblivious to the precariousness. If even a wild animal felt safe, perhaps it was indeed sturdy enough.

In the hut, a woman, part of the bridge-building family, collected my toll and issued a receipt. Despite the potential for exploiting tourist traffic, her demeanor was serene, almost monastic. This wasn’t a tourist gimmick. When I asked about crossing after the monsoon, she smiled, “We use boats. It’s what we’ve done before the iron bridge, the river is our life.” Her resilience was profound.

Luang Prabang’s rapid tourism growth has altered some aspects, yet the spirit of the land and the soul of its people—living in harmony with nature—endures. This “Shangri-La” remains vibrant, its essence as timeless as the river itself.