ヨルダン・ハシミテ王国 – 文明のクロスロードを行く
8日間1200キロの旅路が刻んだ文明史との邂逅
ヨルダン・ハシミテ王国を旅はて、人類の文明史に触れるような体験だった。壮大な遺跡群の中に立ち、先史時代から現代に至る数千年の歴史を肌で感じ、そして現在を生きる人々の豊かな暮らしとその未来を垣間見た。ヨルダンは、訪れる者の時間感覚を研ぎ澄まし、現在、中東と呼ばれている地域との新たな出会いを生み出す魅力に満ちている。
Day 1 – アンマン、歴史の層を歩む
アンマンのクイーン・アリア国際空港は、首都にふさわしい規模と快適さを備えている。日本のパスポート所持者にはビザが不要で、入国手続きは驚くほどスムーズだった。日本語を操る温和なガイドと寡黙なドライバーが待つ車に乗り込み、8日間の周遊の旅が始まった。
セントレジス・アンマンに向かう道中、整然とした街並みが印象的だった。中東特有の砂漠気候とアンマンの高地が生み出す乾燥した空気は、摂氏25度前後で心地よい。
この地域は「中東」と一括りにされがちだが、ヨルダンは独自の立ち位置を確立している。サウジアラビア、イラク、シリア、イスラエル、エジプトと国境を接しながら、巧みな外交でバランスを保ち、地域の安定に貢献している。「中東地域の安定の礎石」との評価は、この国の独自の役割を端的に表している。
アンマンの中心部に位置する「シタデル」は、想像を超える規模の遺跡群だった。紀元前6000年の新石器時代から、ペルシャ、ギリシャ、東ローマ帝国、ウマイヤ朝と、各時代の遺構が重層的に存在している。2世紀に建立されたヘラクレス神殿の石柱に触れた時、悠久の時の流れを実感した。
Day 2 – 伝統と革新が共存する街々
首都アンマンから北西30キロに位置するサルトは、かつてアンマンとエルサレムを結ぶ交易の要衝として栄えた。JICAの支援で整備されたサルト歴史博物館では、19世紀末の建築物を活用しながら、この地の近現代史と豊かな民族文化を紹介している。街全体が生きた博物館と称される所以を、そこで働く人々の誇り高い姿勢からも感じ取ることができた。
アル・イラク・アミールでは、紀元前3世紀のヘレニズム期の遺跡に圧倒された。ライオンの彫刻が施された建造物が、乾燥した谷間に悠然と佇む光景は、時空を超えた感動を呼び起こす。
地元のコミュニティ拠点で味わった手作りのヨルダン料理は、この地の人々の温かさを体現していた。女性たちによる陶芸や紙漉きの工房は、アラブ社会における女性の社会進出の新しい形を示している。伝統を大切にしながらも、未来を見据える彼女たちの姿勢に感銘を受けた。
アンマンのヨルダン博物館では、世界最古の双頭人形「アイン・ガザル」との出会いが待っていた。紀元前7700年に作られたその人形の瞳には、1万年の時を超えた人類の営みが宿っているようだった。
Day 3 – 古代ローマの息吹と国境の街
早朝のアンマンを後にし、北方50キロに位置するジェラシュへ向かった。そこで目にしたのは、2000年以上前の都市がそのままの姿で残る壮大な遺跡群だった。古代ローマの石畳に刻まれた轍、教会跡のモザイク、そして圧巻の円形劇場。静寂の中に佇めば、2000年前の喝采が聞こえてくるような錯覚すら覚えた。
国内最北の街ウムカイスでは、緑豊かな景観が広がる。イスラエルとシリアの国境に近いこの地からは、イスラエルが占領するゴラン高原を望むことができる。現代史の生々しい一幕を目の当たりにする一方で、街の雰囲気は驚くほど穏やかだ。地元の人々が庭で採れたレモンを気さくに差し出してくれる様子に、この地の平和な日常を感じた。
「ヨルダントレイル」の北端がこの地にある。南北約600キロに及ぶこのトレイルは、古代からの交易路に沿って設けられており、まさに「時」そのものを歩むことができる道だ。
Day 4 – ペトラへの道、時を超えた旅路
マダバは、各時代の遺跡が美しく保存された街だ。ここは旧約聖書にも記されたモーセの終焉の地として、キリスト教徒やユダヤ教徒にとって特別な意味を持つ。郊外のネボ山からは、ヨルダン川、死海、そして遠くエルサレムまでを一望できる。この眺望は、モーセが「約束の地」を臨んだ最後の景色とされている。
街の中心部には「マダバのモザイク地図」がある。紀元1年頃に制作されたこの地図は、当時の中東の様子を克明に描き出している。2000年以上前の人々の世界観と技術の高さを今に伝える貴重な遺産だ。
東側の砂漠地帯を貫く「デザートハイウェー」を南下し、ヨルダン随一の観光地ペトラへ向かった。夕暮れ時、ペトラ遺跡に近いオールド・ビレッジ・ホテル&リゾートに到着。かつてこの地に住んでいた部族の村を改装した施設で、スタッフの多くが地元ナワフレ族の出身という。施設の充実ぶりは、ペトラの国際的な観光地としての地位を物語っている。
Day 5 – ペトラ遺跡、時空を超えた感動
ペトラ遺跡は、紀元前2世紀から紀元2世紀にかけて栄えたナバテア王国の痕跡だ。数十メートルの岩山を精巧に削り出した建造物群は、人智を超えた存在感を放っている。遺跡内のトレイルは整備され、誰もが探索を楽しめる一方、奥へ進むにつれて本格的なトレッキングコースへと変貌する。
一日かけてペトラ遺跡を巡り、その存在感に圧倒された。2000年以上前のナバテア人が誇った高度な利水技術、建築技術、そして農業の痕跡は、私たちの想像力を超える壮大さを持っている。JICAの協力で建設されたペトラ博物館では、ナバテア人が使用した古代の上水道システムや、アラビア文字の起源がこの地にあったことなど、現代文明の礎となった驚くべき史実を知った。
Day 6 – 砂漠の神秘、ワディ・ラム
早朝、4WDで砂漠サファリに出発。ドライバーは大海原を進む船頭のように、赤い砂と岩山だけが広がる空間を自在に走り抜けた。有史以前から人が住み、ギリシアやローマの文献にも記された this地は、その荘厳な景観から映画「火星」のロケ地としても使われている。無限に広がる空間と悠久の時の流れが、すべての感覚を研ぎ澄ませる。
その後、ヨルダン唯一の外洋港を持つアカバへ移動。この古代からの港町は、現在、経済特区として生まれ変わろうとしている。サラヤ・プロジェクトによる大規模開発では、国際基準の住居施設、グレッグ・ノーマン設計のゴルフコース、高級ホテル群が整備され、新しいヨルダンの姿を象徴している。
Day 7 – 死海、地球上で最も低い場所での体験
アカバから死海へと向かう道中、高度計は驚くべき数字を示し続けた。海抜マイナス350メートルを超える世界最低地点に向かって降りていく。気候変動の影響で南北に分断された死海だが、その神秘的な存在感は変わらない。
ヒルトン・デッド・シーのプライベートビーチで、死海での浮遊体験をした。確かに身体は自然と浮かぶものの、私にとって最も印象的だったのは、死海と周囲の山々が醸し出す超然とした静寂の美しさだった。高濃度の酸素や紫外線を遮る水蒸気など、この地特有の自然環境が、独特の雰囲気を作り出している。
Day 8 – 聖地ベタニアから旅の終わりへ
最終日、死海から程近い「ヨルダン川対岸のベタニア」を訪れた。イエスが洗礼を受けたとされるこの場所は、わずか10メートル幅のヨルダン川を挟んでイスラエルと接している。対岸では多くの巡礼者が静かに祈りを捧げており、この地が単なる観光地ではなく、深い信仰の場であることを実感した。
8日間、約1200キロの旅を終え、アンマンの空港に向かう車中で、ヨルダンという国の特別な魅力を噛みしめていた。この国は確かに「時の王国」だ。しかしそれは、過去の遺産を観光資源として活用しているだけではない。数千年の時を経た遺跡は、現在と未来に確かにつながる生きた存在として息づいている。
アカバの最先端の開発プロジェクト、各地で出会った女性たちの活躍、そして何より温かく誠実な人々との出会い。これらすべてが、ヨルダンという国の新しい魅力を形作っている。この地をまた訪れたいという思いは、これまでの旅にはない確信となって私の中に残った。
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