オスロ国際空港に降り立った瞬間、息を呑んだ。ターミナルビルの内装は、ノルディックスタイルの洗練された簡素美を基調としながら、ふんだんに天然木材を取り入れている。入国審査場のフロアにまで木製の床材が施され、その美しさと温かみは視覚だけでなく、足裏から伝わってくる。周囲からは森の香りが漂い、それは人間の本能的な幸福感を刺激する自然の芳香だった。世界の空港で木材を活用した建築を目にすることは珍しくないが、これほどまでに自然との調和を追求した空港は初めてである。

「列に並ぶのが苦にならない入国審査は初めてです」と思わず入国管理官に伝えると、「そうでしょう。最高の職場ですから」と笑顔でウインクが返ってきた。その余裕ある対応に、私は訪れた国を無条件に好きになるタイプの旅行者ではないものの、到着早々ノルウェーの魅力に引き込まれていった。

国内線でさらに北へ向かう。今回の旅の目的地は、寒風吹きすさぶスカンジナビア半島北部の北極圏だ。目指すはトロムソ(Tromsø)。人口約6万人ながら、北極圏最大の都市である。

雪と氷に埋もれたトロムソ空港に降り立つと、凍てつく大気が肌を刺す。気温は摂氏1度。空港の周囲には氷結した荒野と雪を抱く山々が広がり、すでに「地の果て」の趣が漂う。しかしここはまだ北緯69度。私の最終目的地であるヨーロッパ最北端の地までは、まだ遠い道のりが残されている。とはいえ北極圏の境界線である北緯66度33分はすでに越えており、このトロムソでは夏には白夜、冬には太陽が地平線から姿を見せない極夜となる。ちなみに日本最北端の稚内・宗谷岬が北緯45度31分であることを考えると、その緯度の高さは日本人の地理感覚をはるかに超えている。

トロムソ空港は小規模ながら機能的だ。21世紀に建設された日本の地方空港に北欧デザインのエッセンスを加えたような印象を受ける。Wi-Fi接続が1時間無料と表示があったので試してみると、携帯電話のショートメッセージでパスワードを受け取る必要があった。手持ちの携帯が圏外で困っていると、キオスクの女性が「私の携帯を使えばいいですよ」と申し出てくれた。北欧の人々の特徴なのか、一見無口で控えめでありながら、実は温かな親切心を持ち合わせているのだ。

インターネットに接続する必要があったのは、さらに北への航空便を予約するためだ。ノルウェーはIT環境が充実し、LCC(格安航空会社)も発達していることは事前に把握していたため、あえて予約せずにここまで来た。案の定、スカンジナビア航空系LCCのWiderøe(ヴィデロー航空)のウェブサイトで、1時間半後の便を簡単に予約できた。ノルウェーの物価や25%という高額な消費税を反映した運賃には驚かされたが、日本の国内線正規運賃程度であり、許容範囲内だった。

 トロムソを後にしたヴィデロー便は、ヨーロッパ大陸最北端の岬・ノールカップ(Nordkapp)へのゲートウェイ、ホニングズヴォーグ(Honningsvåg)へと向かう。単なる観光地としての最北端を目指すだけでなく、そこに暮らす人々の生活を自分の目で確かめたいという思いがあった。

機材はボンバルディア製39人乗り双発ターボプロップ機。乗客は私の他に、ビジネスマン、家族連れ、中年女性、若者など20人ほど。まるで辺境のローカルバスのような雰囲気だ。途中寄港地のハンメルフェスト(Hammerfest)で大半の乗客が降り、最終目的地まで残ったのは5人だけとなった。

すると、長身の機長がコックピットから姿を現した。マイクを使わず、前方の座席に手をかけながら直接乗客に語りかける。私の顔を見て英語でいいかと確認した後、出発を少し遅らせたい理由を説明し始めた。この便は最終目的地から折り返してトロムソへ向かう最終便となるが、その便はハンメルフェストには寄港しない。今日これからトロムソへ向かう乗客が空港に向かっているため、その到着を待ちたいというのだ。

極寒の地での、まるで探検隊の相互扶助のような心遣いに感動していると、5分ほどで待っていた乗客2人が到着。機長の配慮と正確な状況説明に、北欧の誠実さを垣間見た思いがした。

機長との会話は続き、北極圏での飛行について尋ねると「特に変わったことはない」と淡々と答える。「80年の歴史がある航空会社だから、単発プロペラ機の時代から氷点下の猛吹雪の中を飛び、凍結滑走路での離着陸もこなしてきた」という言葉には、北国の漁師のような誇りと自信が感じられた。

低空飛行の機窓からは、果てしなく続く凍てついた岩場と湖、そしてフィヨルドの壮大な景観が広がっている。生命の気配すら感じられないその光景に、「とんでもない場所に来てしまった」という思いが募る。

ホニングスヴォーグ空港は、フィヨルドの入江に面した小さな施設だ。吹きすさぶ冷風と氷雪が到着の歓迎を務める。ターミナルと呼ぶにはあまりに質素な建物には、わずか2名の職員が常駐するのみ。空港長兼ディスパッチャー兼受付の1名と、保安検査から手荷物搬送まで一手に引き受けるセキュリティ担当者だ。空港業務の究極のミニマリズムを目の当たりにする。

街の中心部までタクシーを呼ぶ必要があったが、携帯は圏外、公衆電話用のコインもない。2人の職員は折り返し便の対応に追われている。途方に暮れていると、機内で一緒だった20代前半の北欧美人が、迎えに来た同じく美しい姉とともに、車に同乗することを申し出てくれた。寡黙ながら温かい心遣いは、この国の人々の特徴なのかもしれない。

車中で話を聞くと、2人はホニングスヴォーグ出身の姉妹だった。姉はトロムソでの仕事を辞め、実家近くで新しい職を得たという。妹はトロムソの大学に通う学生だ。「この辺りの景色は最高。街の周辺を歩くだけで、他のフィヨルドは見る必要ないかも」と姉が笑う。5分ほどで目的のホテルに到着すると、まるで何事もなかったかのように2人は静かに去っていった。寡黙で親切、そして凛とした佇まい―北欧の人々の魅力を凝縮したような出会いだった。

予約なしで訪れたホテルは、他に宿泊客がおらず、マネージャーから「貸切ですね」と言われる始末だ。典型的なオフシーズンの観光地の様相である。フロントでは、この時期のノールカップへのアクセスは定期バスもツアーも不定期で、タクシーをチャーターする以外に方法がないと告げられる。

人口わずか2000人余りのホニングスヴォーグは、切り立つフィヨルドの山々と海の間の斜面にへばりつくように建つ家々が特徴的だ。スカンジナビア半島最北部の漁業拠点として栄え、夏季には世界中からの大型クルーズ船の寄港地となる。こじんまりとしたメインストリートに比べ、港湾施設が立派なのはそのためだ。

坂の多い街並みで目を引くのは、建物の鮮やかな色使いだ。いわゆる「北欧デザイン」の特徴である、落ち着いた明るさの配色が街全体を彩る。フィヨルドとバレンツ海を望むこの地では、秋には正午でさえ日本の早朝か夕暮れほどの日の高さしかなく、冬には太陽が姿を見せない。そんな厳しい環境だからこそ、人々は自然と色彩豊かな日常を求めているのかもしれない。わずかな晴れ間に、住民たちが一斉に颯爽と散歩に繰り出す光景が印象的だった。

港に降りると、「ノルウェー沿岸急行船(フッティールーテン、Hurtigruten)」の主要寄港地であることが分かった。南部の古都ベルゲンから半島最北東部のキルケネスまで、約2500キロの沿岸を12日間かけて往復する定期船だ。100年以上の歴史を持ち、「世界で最も美しい船旅」との評価も高い。この船があれば、スカンジナビア半島北端を東進し、ロシア国境近くまで行けるではないか。臨機応変は旅の醍醐味である。タクシーの手配も困難なノールカップは諦め、急遽、翌日からの船旅を選択した。

ホニングスヴォーグからキルケネスまでは18時間の航海だ。大型船は北極海の南限であるスカンジナビア半島北部のフィヨルドと島々の間を縫うように進む。外海に出ると海は一層の暗さを増し、高波が船を揺らす。ここが北極海上だと実感する瞬間だ。日中の太陽は地平線のわずか上を這うように移動し、北緯71度を超える海域では、陽光は終日、明け方か夕方のような柔らかさを帯びている。

船上のデッキからは、寒風に耐えながら絶景を堪能できる。最果ての地特有の寂寥感を感じつつも、好天時には北極圏の海に映える壮大な朝焼けと夕焼けが一日中続き、夜間には条件が整えばオーロラも姿を見せる。小型のクジラの群れが船の航跡を追い、時折尾びれを跳ねさせる光景は、この海域ならではの特権的な風景だった。

乗客は、オフシーズンを狙って訪れた各国の観光客と、港から港へと移動する地元の人々が混在している。豪華クルーズ船とは異なり華やかなサービスやイベントはないものの、長旅を快適に過ごすためのダイニングやライブラリーが整備され、船内全域で無料Wi-Fiも利用できる。乗客たちは皆、ゆったりとした時間の流れを楽しんでいるようだ。

翌朝、時刻表通りの正確さでキルケネスに到着。スカンジナビア半島の東北端、今回の旅の終着点である。港は整然と整備されているものの、観光地の雰囲気は皆無だ。トラックの往来と倉庫群が目立ち、物流の拠点としての性格が強い。実際、ここはロシア国境まで約6キロ。歴史的にも経済的にも、東のロシアや南のフィンランドとの結びつきが強い土地なのだ。第二次世界大戦中はナチス・ドイツによる占領下で、ドイツ軍の重要な軍事拠点となった歴史も持つ。

私は「ノルウェーの辺境」「地の果て」を期待してここまで来たが、地政学的・経済的には、この地は昔も今も重要な十字路なのだと気付かされる。港前のスーパーマーケットには、ロシア産の野菜や南欧、オーストラリア産のフルーツが豊富に並び、土産物店には国境観光の写真が飾られ、工事現場には南アジア出身と思われる労働者の姿も見える。

正午近くになっても弱々しい日差しと、凍てついた地面に映る長い影を眺めながら、思いを巡らせる。政治や経済の仕組みに関係なく、たとえ極寒の地であっても、人々の暮らしに国境はないのだと、ここキルケネスの澄み切った青空の下で実感する。

帰路は再びノルウェー沿岸急行船で36時間かけてトロムソへ戻り、そこから国内線でオスロへと飛んだ。この旅を通じて、ノルウェー人の特質が見えてきた。彼らは寡黙で控えめでありながら、自国と自分たちの生き方に揺るぎない自信を持っている。厳しい環境を受け入れて暮らすこと、充実したIT環境、正確な交通インフラの運営など、どこか日本と日本人に通じるものを感じたのは、良き旅の後の贔屓目だろうか。

確かに、高物価と重い税負担、移民政策をめぐる社会問題など、課題は少なくない。しかし、環境との調和を重視し、他の工業先進国とは異なる方向性で豊かな社会を目指す姿勢を、街の佇まいや人々の振る舞いから実感できたことが、今回の旅の最大の収穫となった。

オスロ空港のターミナルビルの床に、「オーディンの箴言」の一節が日本語で刻まれているのを見つけた。「遠く旅する人は知恵がいる/家では何も苦労はないが/ものを知らぬ人が賢い人と同席したら/物笑いの種になる」。北欧神話の最高神オーディンの言葉とされる、ヴァイキング時代からの教えだ。

そうか、ノルウェー人とその祖先は旅人なのだ。実際、コロンブスがアメリカ大陸に到達するはるか以前から、彼らは小舟の船団で大西洋を渡っていた。オスロ空港に降り立った瞬間から感じていた親近感は、もしかしたら旅人としての共通のDNAによるものだったのかもしれない。その思いは、この旅の最後の瞬間まで私の心に温かく残り続けた。

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Journey to Kirkenes: Northern Edge of Scandinavia

The moment I stepped into Oslo International Airport, I was taken aback. The terminal building masterfully blends sophisticated Nordic minimalism with abundant natural wood elements. Even the immigration area features wooden flooring, its beauty and warmth reaching you not just visually but through every step. The subtle forest fragrance wafting through the air triggers an instinctive sense of well-being. While it’s not uncommon to see wood used in airports worldwide, I’d never encountered one that pursued harmony with nature to such an extent.

“This is the first time I haven’t minded waiting in an immigration line,” I found myself telling the immigration officer. “Of course – it’s the best workplace there is,” he replied with a wink and a smile. Despite not being the type of traveler who falls unconditionally in love with every country I visit, I found myself drawn into Norway’s charm right from arrival.

I continued northward on a domestic flight. My destination was the Arctic Circle in the wind-swept northern part of the Scandinavian Peninsula. I was heading to Tromsø, which, despite its modest population of about 60,000, is the largest city within the Arctic Circle.

Landing at the snow and ice-covered Tromsø Airport, the freezing air bit at my skin. The temperature was 34°F. The airport was surrounded by frozen wilderness and snow-capped mountains, already giving off an “edge of the world” atmosphere. Yet at 69 degrees north latitude, we were still far from Europe’s northernmost point, my ultimate destination. Nevertheless, we had already crossed the Arctic Circle at 66°33’N, meaning Tromsø experiences the midnight sun in summer and polar nights in winter when the sun never rises above the horizon. To put this in perspective for American readers, Anchorage, Alaska sits at 61°13’N – significantly further south than where I stood.

Though small, Tromsø Airport is remarkably efficient. It reminds me of a 21st-century regional airport with a Nordic design twist. When I tried to connect to the advertised one-hour free Wi-Fi, I discovered I needed to receive a password via text message. As my phone showed no service, I was starting to worry when the friendly staff at the kiosk quickly helped me out – a perfect example of Norwegian hospitality.

The journey to Honningsvåg takes 18 hours by sea. The large vessel weaves through fjords and between islands along the northern edge of the Scandinavian Peninsula, skirting the southern boundary of the Arctic Ocean. Once we hit open water, the sea darkens and high waves rock the ship – a visceral reminder that we’re in Arctic waters. The sun traces a low arc just above the horizon, and beyond 71 degrees north, the daylight maintains a perpetual dawn/dusk quality.

From the deck, passengers can brave the cold winds to enjoy spectacular views. While there’s a distinct sense of isolation characteristic of such remote locations, clear weather brings magnificent Arctic sunrises and sunsets that seem to last all day, and on the right nights, the Northern Lights make an appearance. Watching pods of small whales following in our wake, occasionally showing their flukes – this is the kind of privileged spectacle unique to these waters.

The passenger mix includes both off-season tourists from various countries and locals traveling between ports. While it’s not a luxury cruise with elaborate services and events, the ship offers comfortable dining facilities and a library, plus free Wi-Fi throughout. Everyone seems to be enjoying the unhurried pace of the journey.

We arrive in Kirkenes right on schedule the next morning – our final destination at the northeastern tip of the Scandinavian Peninsula. The port is well-organized but devoid of tourist trappings. With its steady stream of trucks and warehouse complexes, it’s clearly more of a logistics hub. This makes sense, given that it’s just four miles from the Russian border. Both historically and economically, this area has strong ties to Russia to the east and Finland to the south. During World War II, it served as a crucial German military stronghold under Nazi occupation.

While I came expecting to find “Norway’s frontier” or “the end of the earth,” I realized this place has always been, and remains, a crucial crossroads both geopolitically and economically. The supermarket near the port stocks Russian vegetables alongside produce from Southern Europe and Australia, souvenir shops display photos of border tourism, and construction sites employ workers who appear to be from South Asia.

As I stand under the weak midday sun, contemplating our long shadows on the frozen ground, it strikes me: regardless of political or economic systems, and despite the extreme climate, human life transcends borders. This becomes crystal clear under Kirkenes’s pristine blue sky.

For my return journey, I took another 36-hour coastal voyage back to Tromsø, then flew to Oslo via domestic connection. Throughout this trip, I gained insight into the Norwegian character. While reserved and modest, Norwegians possess unwavering confidence in their nation and way of life. Their acceptance of harsh conditions, advanced IT infrastructure, and precise transportation operations reminded me somewhat of Japan and its people – though perhaps that’s just the rose-tinted perspective of a satisfied traveler.

True, Norway faces its share of challenges – high living costs, heavy tax burdens, and social issues surrounding immigration policy. However, the greatest takeaway from this journey was experiencing firsthand, through both urban landscapes and human interactions, their commitment to environmental harmony and pursuit of prosperity along a path distinct from other industrialized nations.

In Oslo Airport’s terminal, I discovered a verse from “Odin’s Wisdom” inscribed in multiple languages: “The unwise man is awake all night / worrying over everything / When morning comes he is weary in spirit / And all is a burden as ever.” This teaching from Viking times, attributed to the highest Norse god Odin, seems particularly fitting.

Of course – Norwegians and their ancestors were travelers at heart. In fact, long before Columbus reached the Americas, they were crossing the Atlantic in fleets of small boats. Perhaps the immediate sense of kinship I felt upon arriving at Oslo Airport stemmed from our shared DNA as travelers. This thought warmed my heart until the very last moment of my journey.